仕事は続かないけれど好奇心を探究していくブログ

1995年2月9日生まれ。現在22歳のフリーター。これまで一年続けた仕事はありません。日々自分には何が出来るのか、今後どのように生きていったらいいのかを模索しています。好きなものは洋画と洋楽(ロック、ヒップホップ、ダンスミュージックなど)また語学が好きで、英語と韓国語独学中。コリアンミュージックが好きで特にBTSとB.A.Pが好きです。

これまでの仕事を振り返る 餅製造工場

さて、個人飲食店を辞めた私は再び次の仕事を探していた。


そこで目に止まったのが、食品工場である。そこでは主に餅や麺などを製造していた。


工場は家から徒歩10分にも満たないかなりの近所にあった。私は車はもちろん運転免許も持っていないため、バイト先は、家から徒歩か自転車で通えるのが、絶対条件になる。これなら、雨雪が降っても通える。大きなポイントだった。


これに加え更に私はまたもや安易な考えで応募してしまう。


工場は与えられた仕事を黙々とこなせば良いのだろうから、人との付き合いもないだろうし、出来そうだな、


と思った。


面接をしてくれた女性は本当に優しく、親切な人で、今思い出しても優しい人だったと感じる。面接はとんとん拍子で進み、終始和やかだった。そんな中話の途中でその女性が、


「年配の女性が結構多くて、まあ、言う人は言うよね。」


と呟いた。嫌な予感がした。


実際に働いて私は某ドーナツ店で働き、クビになった最短記録に並ぶ約5日後に、自ら電話をして工場を辞めた。


なぜ、辞めたのか。


同じ作業を永遠とすることが自分の予想以上にきつかった。もちろんある程度想像していたことではあったが、変わりばえのない全く同じ作業を2時間も3時間も続けることは私にとって拷問以外の何物でもなく、本当に頭がおかしくなりそうだった。


そして、おばさんからの圧力がものすごかった。


入ったばかりでうまく作業出来ない私におばさん達(従業員の8割はおばさん)はイライラしていた。ラインでどんどん商品が流れてくるため、その間に商品を詰めるなどの処理をしなければどんどん溜まっていってしまう。ベテランも新人も関係なく、同じ仕事量を同じスピードですることを求められた。少しでももたもたしようものなら、もういいと言わんばかりにおばさんが割って入る。「落ちた餅を片付けるだけでいいから。」と言われ、何もせず、立っていることを暗に命じられた。立っている間、私は何をしに来たのだろうかと思っていた。


学校と同じように昼にチャイムがなり、休憩の合図が知らされる。やっと休憩だと思い、お昼を食べようと食堂の席に着こうとすると、


「その席に座らないで!大体決まってるんだから!」と奥に固まって座っていたおばさんに言われ、移動を命じられた。何故?


また、堂々と私の目の前で私が使えないと他の従業員と笑い飛ばしているおじさんもいた。普通にショックを受けた。


最初に面接をしてくれた女性を含め、他に私に対して優しい言葉をかけてくれるおばさんや同い年の男子もいた。特に私と同期で入った当時60歳くらいだったおばさんはとても良い人で、その人がいる時はいつも私と話をしてくれ、すごく安心していた。私はここで一人じゃないのだと思えた。同い年の男子は大抵ちゃんとやれ、丁寧にやれとちゃんと教えてくれなかった冷たい人間が多かった中で、彼は優しく、丁寧に仕事を教えてくれた。良い人だった。


そこでは時間の進むスピードが恐ろしく遅かった気がする。どんなに裁いてもまだ1時間も経っていない、というのが、ままあった。工場の抑圧された空間、食品の、餅の独特の匂いが充満する中で、人間がぎゅっと集まって作業しているのは私には駄目だった。本当にとことん駄目だった。正直テレビでライン工場で作業する人達が映っているのを見るのも嫌なくらいトラウマになった。


ライン工場にも当たり前だが、人間関係はあるのだと知った。


こうして案の定体調を崩した私はおよそ5日後に申し訳ないのですが、、、と電話をいれ、辞める意思を伝えた。電話に出たのは面接をしてくれた女性で、そう。と静かに受け入れてくれた。


おそらく、もう二度とライン工場では働かないだろう。辞めてから約二年が経ったが、同期のおばさんはまだ働いているのだろうか。彼女には何も告げずに辞めてしまった。